拝啓 「鍵屋」清水様。
いつもありがとうございます。初めてお伺いしたのは、30年前、私が二十代の頃でしたね。
カウンターに一人で座わったのですが、品が漂うご年配の独酌客ばかりで、いたく緊張したものです。
しかしそれも束の間、裸電球の柔らかな光で盃を重ねれば、義理の汗が抜け、都会の速度が遠のいて、自分の時間が、ゆっくり戻ってきたことを覚えています。
まだお母様がいらっしゃって、入る時には「いらっしゃいまし」、帰る時は「ありがとう存じます」と、お声をかけていただき、背筋がピンと伸びました。
今のお店でも、帰り際に女将さんからこの言葉をかけられると、「ああ、いい時間を過ごしたなあ」と、幸せが募ります。
私がお伺いする時は、必ず一人です。
カウンターには、独酌客が並び、静かに自分の時間を楽しんでいらっしゃる。
姿勢がよく、行儀がよく、無駄口をたたかず、注文の間がよく、ご自身の酒量を守っている。
さりげなく来て、さりげなく飲み、さりげなく帰る。
一流の呑兵衛たちが、黙々と飲みながらも、人生への謳歌が滲み出ている。
この雰囲気は、鍵屋さんだけですね。
以前、三つ揃いを着た70代の紳士が隣で飲んでいました。
ふと見ると盃が鍵屋のではない。
どうしたものかと思っていると、お勘定の際、ポケットから絹のハンカチを出してくるみ、帰っていった。
しかも、すべてが飄然として嫌みがない。
いつかあんな酒飲みになりたい。
そう、切実に思ったものです。
鍵屋では、味噌豆で少しやって、長年の糠床で漬けられたお新香で、季節に触れて、たたみいわしに冷奴か湯豆腐。
それからもつなべやくりからで一本。都合三本を、ぬる燗いただきます。
普通は菊正ですが、厳しい日が続いたら、辛い大関の熱燗で心を締め、悲しいことがある時は、櫻正宗で和らげます。
年代物の銅壺でつけた酒は、精神の揉みほぐし方が違う。
優しく、脳の奥底を包む、寛容力が大きい。
ああ、書いているうちに、また行きたくなりました。また必ず近いうちに。一人で。
敬具